夢を追いかけ達成させる喜びを感じて
- TANAKA FUSAGORO
- 田中 房五郎
- 有限会社かっとはうすごろう
- 代表取締役
1972年、東京へ渡り、有名講師師事。数々のコンテストにて優勝。
1975年、故郷の岐阜へ戻り、25歳で独立。(有限会社かっとはうすごろう設立)
1977年、イギリス・ロンドンのヴィダルサスーンにて修行。カット講師として全国で活躍。
1990年、岐阜で美容室8店舗経営。
1992年、拠点を名古屋に移す。コンサルタントとして、札幌・仙台・東京・横浜・富山・名古屋・大阪広島・福岡にて活動し、サロンの経営のノウハウを学ぶ。
2005年、FC(フランチャイズ)制度を開始。(コムズグループ創立)
現在、コムズグループ代表(直営8店舗)(FC店舗97店舗)、一般社団法人日本ヘッドスパ協会、(JHSA)理事、一般社団法人エシカルビューティー協会(EReA理事)
Tel | 052-581-3922 |
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fax | 052-880-3939 |
住所 | 〒451-0045 愛知県名古屋市西区名駅2-24-9 |
Web Site | http://comsgroup.co.jp |
12坪の店舗からスタートし、東海最大の美容グループ「コムズグループ」のトップへ
母親に言われた言葉を実現するために美容業界へ
私の名前は「田中 房五郎」と言います。幼い頃から母に房五郎という名前は、お金持ちになってたくさんの家を持つそういう名前だよと言われ続けて育てられました。初めは、3ヶ月だけサラリーマンをしていました。辞めようという思いに至ったのは、サラリーマン生活では母に言われたような豊かな未来は実現出来ないと思ったからです。
その後、なんで美容師になったかというと、これからの自分の人生に悩んでる頃、たまたま母に連れて行かれた美容室の帰りに「お前、美容師になったら、美容師の奥さんもらって楽したらいいよ」そう母に言われたんです。そんな単純な事が私の美容業界への入り口でした。
当時、初任給3000円で、仕事に行くための交通費も3000円だったため、美容師の仕事を終えた後、焼肉屋でバイトをして終電で帰るという生活でした。今では、考えられないですが、そういう時代でした。これでは、何のために美容師になったのかわからないですよね。
そういう生活をしてる中、お世話になってた美容学校の先生から「男だったら東京に行った方がいいよ」という勧めで、紹介された東京の美容室に再就職しました。その頃の私は、どうしたら有名になれるかばかりを考えてコンテストに明け暮れ、結果グランプリを取ることもできました。
しかし、お店にお客様は来ない。入客出来るのは先生と店長だけで、私の仕事は雑用ばかりで嫌気がさしていました。「俺は、こんな事をするために東京に来たんじゃない」そういう思いから先生に半額の料金でいいから私にも入客させて欲しと直訴し、チラシを製作して行きつけの銭湯に貼らせてもらったり、ポステイングをしたり、お客様に来てもらう為にやれる事は何でもやりました。
その成果で、1日の来店人数も3ヶ月後には4倍にもなり、その後も増え続け、私も入客させていただけるようになっていきました。そしてある時期が来ると、先生から「田中くんに教わる事はあっても教える事はもうないから独立した方がいいよ」と言われたんです。
「かっとはうすごろう」開店。コムズグループの原点が始まる
その後、地元の岐阜に戻り、妻と二人で家賃3万2千円風呂屋の3階で「かっとはうすごろう」1号店をオープンしました。お客様は、オープン当日7人、2日目4人、3日目にはとうとう0人という悲惨な状況で、当時は子供を背負って夜な夜なポステイングに明け暮れていました。
その様な状況を、カット技術には定評があったので、メーカーさんなどの紹介で岐阜、愛知、静岡などで、講師をさせて頂きながら乗り切り、それが噂となって、スタッフも増えていき、7年で8店舗まで展開する店になっていきました。
岐阜の店舗を全て捨て、名古屋で0からの再出発。
その後、子供の環境を変えてあげたいという思いもあり、名古屋に引っ越して来ました。引っ越してからも3年ほどは岐阜に通っていましたが、岐阜では会社としてもこの先これ以上の成長は難しいだろうと思い、全てを捨てる覚悟で、各店長に店を全店舗譲渡して、名古屋で0からのスタートを切ることにしたのです。名古屋での1号店は瑞穂で、お客様で毎日がドット混むようにという思いを込めて、「ドットコム」という店名にしました。
2号店を桜山にオープンしたのは良かったのですが、立地も悪くスタッフも集まらなくて、おじさんの私が若いお客様を担当しないといけないという悪循環。当然そんな店に、スタッフもお客様も来ませんでした。
その時学んだ事は、もう自分がメインで働いてる場合ではないという事です。
本当に年を重ねると、若いお客様は来ないでほしいと思うくらい時代に感性がついていけなくなって行くんですよ。色々上手くいかないことがありながらも、若いスタッフが集まって来そうな立地を求め御器所、一社に店を増やし、店が増えた事で複数形にという意味で「コムズヘアー イースタイル」に変更しました。その時のスタッフとは「みんなオーナーになれるといいね」と、ただひたすらに夢を語っていました。
その後、各店をフランチャイズという形で店を譲渡しながら展開を進め、徐々に「コムズヘアー イースタイル」として拡大していきました。
そういう中で、新たなチャレンジとして名古屋駅に「シャンドゥール」をオープンしました。
その理由としては、お客様も色々な価値観があるだろう、働く側ももっと単価が高いところでやりがいがある店を探しているだろうと考え、空間が大事だなと思ったんですね。空間がよければ、お客様の信頼度も上がるのではないか。当時は美容室にシャンデリアがあるお店はなかったですから。
この様に「人はどこで働きたいか、お客さんはど
こに行きたいか」この原点を常に追求して行けば、時代が変わっても間違うことはないと私は思っています。そして、コムズグループは展開しているブランドも多くなり、サロン数も既に100店舗以上になることができました。
夢を持っている方達に魅力を提供することが私の使命です
しかし、これまでの経験は勉強の段階だと思っています。今後はこれまで学んだことをどう活かすかですね。現在はIT・webが全盛の時代。美容業界も情報が競争相手になっています。都会のサロンでも田舎のサロンでも、スマートフォンの対応に勝てるかどうかという時代に変わりましたね。特に今までの老舗と言われるサロンはweb対応ができない。しかし、若い人たちは当たり前の様に馴染んでいるので、個でも勝つことができる。中途半端に大きい店になった時に小回りが利かないことでバランスが崩れ、結果的に業務委託しかなくなって来るという時代になっています。その様な中、どうしたら利益が出るサロン作りができるかです。
また、今後はアカデミーの展開にも力を入れていくつもりです。ジュニアスタイリストの方達が悶々としているという状況があり、その子達は早く現場でスタイリストになりたいと思っています。夢を持っている若い人たちに活躍の場を提供する。そうするために、何をやっていかなければならないか。経営者が一番やらないといけないことは、「魅力」を提供することです。
大事にしているモノItem
コムズグループは、人との出会いの結晶です。 たくさんの大切な仲間と共に日本一を目指します。
ストリングスホテル 名古屋
コムズグループ 100店舗達成記念パーティー
写真:FCオーナーと共に
田中 房五郎 そしてコムズグループは、たくさんの出会いがあって今があります。株式会社ブイボンの鈴田社長を始め、多くの企業、メーカー様の支えのおかげもあって、先日一つの目標でもあった100店舗を達成する事ができました。参列いただいたFCオーナー全員と記念撮影をした写真を見返しながら改めて感謝の気持ちと、これからの私の使命をひしひしと感じた、第二章の始まりにふさわしい一枚の写真です。
私は、これまで日本一を目指してやってきました。そして、これからも目指していきます。
私が目指す日本一は、店舗数でもスタッフ数でもなく、年商という規模でもありまん。働くスタッフの満足度を日本一にすることです。現場で働くスタッフ一人一人が、胸を張って美容師と言える環境にしていかなければ、スタッフも経営者も、もっと言えばメーカーやディーラーにも明るい未来は来ないと思います。
心も、身体も、そして経済的にも、スタッフの満足度を日本一にする事がこれからの私の使命であり、コムズグループの永遠のテーマなのです。
コムズグループの店舗で働けてることを、心から喜んでくれる環境を作り、フランチャイズオーナーや各企業様と手を取り合いながら、これから更に前進していきたいと思います。
日本一豊かな美容グループを、たくさんの大切な仲間と共に。
私の仕事を紹介させて下さいMy Job
美容師が「こんな美容室で働きたかった」
という環境を提供する
【事業概要】美容 ・ ネイル ・ トータルビューティー
私の仕事は、東海地方を中心に全国に展開を進める美容室、コムズグループの代表取締役社長をしています。
コムズグループとして、これまで105店舗、650名のスタッフ、47名のフランチャイズオーナーを排出してきました。
現在、美容室の25ブランドを運営しています。
私のグループの特徴としましては、カウンセリングから仕上げまで一人のスタッフがマンツーマンでお客様を担当するアシスタントを使わない美容室運営です。この制度を採用する事で、スタッフのお客様に対する責任感が強く生まれ、仕事に対してのやりがいや達成感も感じられると思っています。
雇用形態は、業務委託制度を採用する事で、スタッフのプロ意識、美容師の経済的豊かさを求めながらこれまでやってきました。
私の仕事としての日常は、情報にアンテナを張って、学び、行動することですね。情報をアップデートすることを常に心がけています。結局、スタッフはどういう場所、環境で働きたいのだろうか?お客様は、どういう美容室にいきたいと思っているのだろうか?これが全てです。
トレンドや、サービス、求められるものが目まぐるしく変化する世の中の流れを感じとり、一つの成功にとらわれず新しい事にチャレンジする。変化するものだけが生き残っていける。一つの成功に囚われてはいけない。時には、成功を捨てる勇気もないといけないと私は常に自分に言い聞かせています。
人として変わってはいけない根っこの部分は大切に、コムズグループに関わる全ての人が、心から幸せを感じながら、時代をリードしていけるグループの代表として私は学び続け、走り続けていくつもりです。
私のお気に入りfavorite
1
- 座右の銘
- 「努力は天才に勝る」です。
強い使命感を持って努力することが大切だと思います。
2
- 好きな音楽
- 演歌全般。年に一度は、コンサートに出かけたりします。
堂々と歌ったり話したりする姿や表情を見て凄いなと思い、自分の中で参考にしています。
3
- 好きな物
- 車(メルセデスベンツ) 、時計(カルティエ)、旅行です。
手に入れたいものがあるという事は、人が成長・成功していく上で大きなモチベーションになると私は思います。
4
- 好きなテレビ番組
- カンブリア宮殿、ガイアの夜明け
色々な企業のアイデアを勉強するために、参考によく見ます。
5
- 好きなスポーツ
- プロレス、高校野球、大学駅伝です。
スポーツを見て、毎回元気をもらっています。
TSUNAGUから見た魅力Charm
強い思いと、それを達成する力。そして、人が寄ってくる魅力のある方です。
今回は、田中社長の事務所でインタビューをさせていただきました。
東海最大の美容グループの代表の方だけあり、凄いオーラを放ちながらもとても気さくにインタビューを受けていただきました。本作の記事に書ききれないほどの波乱万丈の人生を過ごされていて、やはり成功された方は一般の方とどこか違うなと改めて感じさせられました。
特にお話しの中であった、岐阜の8店舗を捨てて名古屋で0から再出発したという田中社長の決断力。とても普通の方ではできないと思います。その事に対して田中社長は「より大きくなるために、時には捨てる勇気が大事なんです」と答えていただきました。
また、長い間活躍されているその裏には、時代の先を瞬時に感じ取る田中社長の感性がそれを成しているのだと思います。
これからの若い人達のために成功の秘訣を聞いたところ「どれだけ夢を持っていて、それを達成するという、強い気持ちを持っているかが一番大切なことだと思います」と語って頂きました。
経営のこと、人生のこと今回のインタビューで多くのことを学ばせていただきました。
- TANAKA FUSAGORO
- 田中 房五郎
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- 代表取締役
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